その後、実は12月16日に流産してしまった。
考えをまとめる余裕ができず、書き起こすのに時間がかかってしまった。
日々メモを取っていたので、それを元に流産までがどんな様子だったのか書き残しておこうと思う。
長くなると思うけど、詳しく書くことにした。
初めて真っ赤な鮮血が出たのは12月7日(土)。
生理二日目のような量で出血。
でもこのときは半日くらいで収まり、茶色くなったので病院には行かなかった。
その後はしばらく茶色い出血が少量で続いて、11日(水)にまた少し鮮血。
※鮮血…まさに今起きている出血
※茶色い出血…過去の出血がだらだらと出てきている。
翌日12日(木)は診察の日。
エコーでは13.1mmになった胎嚢が見られた。
成長が少し遅いものの、無事を確認してほっとひと安心。
でもその翌日13日(金)再び鮮血が。
この時はいっこうに出血がおさまらなかった。
そのまま週末の間も生理二日目のような量で鮮血が続き、月曜日になって病院に電話したところ、「診てみないとなんともいえないけれど、状態がわからないと、ご不安でしょうからすぐに来てください」とのこと。
夕方に早退しそのまま病院へ向かった。
この時の診察で胎嚢は17.5mm。
また少し成長してる。
でも先生によると五分五分といった状態だそうで、出血に対する有効な対処法は特にないから、あとは赤ちゃんの生命力に任せるしかないそう。
座薬とバファリンは止めて、飲み薬に変わった。いつも採血してくれる看護婦さんが、優しい言葉をかけてくれる。
診察室を出たら、急に涙がたくさん出た。
「赤ちゃんはまだ頑張っていますよ。お母さんが諦めちゃダメですよ」
そうだ、赤ちゃんはまだ頑張っている。なのに私は何をやってるんだ。何もできないし、諦めてるじゃないか。
小さな小さな命が、赤い海の中で必死に子宮に捕まっている。そんなことを思うと、涙が止まらなかった。
まずは私たちが信じてあげなきゃ、と帰り始めた途中、激しい腹痛が。生理のような、いやもっと強くて重たい痛みだった。
のろのろと電車に乗り、そうこうするうちになにやら違和感が。。何かが出てきそうな感覚。ドロっとしたものが感じる。。
スカートまで染みていないか心配になりつつ、途中で電車を降りて急ぎ足でトイレに駆け込む。
すると、プルーン二つ分くらいの塊が出てきた。
それまでも小さな塊が出ることは何度かあったけど、そのときの塊はとても大きかった。
ゆっくりと沈んでいき、怖くて手を伸ばすことができなかった。
じっと見つめることしかできなかった。
一緒に来ていた旦那さんに状況を報告。痛みを引きずりながらやっとのことで帰ってきた。
その後三日間は、結構強い腹痛が続いた。
30~40分ごとに等間隔に痛みがやってくる。
波のように。
午前中はそうでもないのに、昼過ぎから夜にかけて痛みが激しくなる。出血は鮮血のままだけど少し量が減り、生理3~4日目くらい。
翌日は診察だったので、お腹にいてくれることを願うばかり。
そういえば、全体を通してつわりのような症状は全くなかった。出血が多かったので、お腹が減ってたくさん食べたけど。(全然太らなかったところを見ると、出血ってなかなか体力がいるんだと思う)
診察までの間、色々な考えが頭を巡ったけど、
言葉にするのはなんとなく憚(はばか)られた。
軽い運動(ストレッチやヨガ)を続けていたのが原因かなとか、どこかでまだ子供を受け入れる覚悟が足りなかったことをお腹の子に見抜かれてたのかな、とか。。
ネットによると鮮血に近づくほど流産の危険は増すらしい。反面、先生によれば妊娠初期の出血に有効な対処法はないとのこと。
自分自身、不思議とすんなりそのことに納得していた。
あとは赤ちゃんの生命力にかけて信じるしかない、と。わかっていた。
先生によると、人間は他の動物と違って、食物連鎖のような淘汰が少ないので、流産をするそう。
他の動物は、流産せずたくさん産む代わりに
奇形が生まれると親が食べてしまったり、
あるいは魚のように超大量に出産し、食物連鎖の中で無事に生き残るのがごく僅かになるといった方法を取っている。
妊娠初期の流産は、人間にとってその淘汰にあたるのだと思う。
原先生のこれらの言葉は印象的で、とても救われた。他の人がそれをどう感じるかわからないけど、自分にはすとんと落ちて、納得できた。
先生は淡々としているようで、生き物というレベルで人を見ているようなところに好感を持っている。
クリニックにはお魚の水槽が二つあって、お世話は原先生がやっているというのもすごいなと思う。あの病院の水槽を見るの、大好きだ。
はらメディカルクリニックは、色々な面で自分たちに合っている病院だなと改めて思った。
染色体異常が主な原因なので、受精の段階ですでに運命は決まっているとのこと。
ネットには、「初期流産はあなたのせいではありません、自分を責めないでださい。」と、いろんなところに書いてある。
でも、そんなこと言われてもどうしようもない。失うというのは、どんな状況にあるにせよ、本当に辛いことだ。
これはまた別の話だけど、母親によれば祖母の頃には、赤ちゃんを取り上げた産婆さんが、その子供に何かおかしい様子があると、母親には見せずに死産として扱っていたらしい。
今となっては考えられない話のように聞こえるけど、当時は障害者が生きていけるだけの環境がなかったというのもあるのかもしれない。
人間は、人間なりに淘汰を行っているとも言える。
どうにか生きて欲しいと思う反面、自然の摂理に従うしかないという、冷静な自分もどこかにいたように思う。
不安や諦め、信じる気持ちを保つこと。
いろんな気持ちが次々とやってきて、ごちゃごちゃした時期だった。意外とドライで、冷たいと思われるかもしれない。
でも私たちだって、動物だ。
生まれる奇跡、生命の不思議には本当に胸が詰まる。そして自分や旦那さん、周りの人が無事に過ごしている、その奇跡ような確率にただただ驚いてしまう。
とりあえず今回はここまでにしよう。
創作のブログは好きで書いているけど、不妊については今まさに不安になっている方、妊娠初期の情報収集でたまたま立ち寄ってくれた方、どなたかの情報になればと思い書いています。
誰かの救いになれば幸いです。
ではでは。