流産がわかったときのこと

前回の続きを更新。

 

流産がわかった日の帰り道に、書き留めておいたものをベースにしている。あの時感じた気持ちも、いつか薄れてしまうかもしれない。いつか違うように受け止めるようになるかもしれない。

 

書き直したくなるかもしれないし、もしかしたら忘れてしまうのかもしれない。でもとにかくできるだけそのまま書き留めておこうと思った。

 

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朝9:15に病院へ。

痛みと血の塊が出てから、長い三日間だった。診察までずいぶん待つだろうと覚悟していたけれど、やけに早く順番が回ってくる。

 

ほとんど心の準備ができていないまま、現在の体調を伝えながら診察台へ。エコーで見渡すも、胎嚢が見えない。うっすらとした白い影しか映らない。

 

あー、、、流れちゃったかな、と先生。

やっぱり、と私。

 

その言葉は呟いてよかったのか、口にしたあと、間違っていたような気分になり喉がつまる。

お腹を刺すような痛みの正体は、胎嚢をお腹から出そうとして子宮が収縮する痛みだそう。

腰が抜けるような強い痛みだった。

 

子宮を収縮させる為の青い薬を5日分もらい、会計を済ます。

あれ程こうなるかもしれないとどこかでわかっていたのに、診察室を出たら実感が襲いかかってきた。

 

トイレで胎嚢を拾えなかった後悔。

ためらったことへの後悔。

変かも知れないけど、旦那さんに見せるべきだったのではという気持ちになっていた。

(そんなことされても困るかもしれないけど)

 

生きていた証を、形あるものとして遺してあげられなかった。供養するその存在すら遺してあげられなかった。取り戻せないものを失って、どうしようもない気持ちになる。

 

それでも、しょうがない。

前に進むしかない、現実を受け入れていくしかない。

わかってるし、そのつもりだった。

大丈夫なはずだった。

でも頭がぼーっとしてしまう。

どうやってまた前に進み始めればいいのかわからなくなった。

 

誰一人この子と出会うことがないまま、これからの時が進んでいくんだという感覚。

 

人は死んでも心の中に記憶が遺る。

思い出も、記憶に残る。

 

私は物だってけっこうあっさりと捨てる方だ。

たとえ形が失くなったとしても、思いや記憶が存在し続けるからいいじゃないか。

そう思うタイプだから、自分自身こんなに”形が残らない”ということにショックを受けることになるとは思わなかった。

手で触れられること、存在するということの尊さを知った。

 

流れ出た胎嚢が水の中にゆっくりと沈んでいく光景が、それに手を伸ばそうとした光景が、頭の中で何度もフラッシュバックした。

 

上手く言えないけど、この妊娠を「着床した」「胎嚢が確認できた」みたいに表面的にしか受け止めきれていなかったのかもしれない。

お腹の中に、これから生まれてくる自分たちの

子どもがいるという自覚がなくて、不妊治療の一つの工程としか捉えていなかったのかもしれない。

 

きっとこの子が教えてくれた。と、旦那さんが言った。

どう向き合うべきだったか、どう過ごせばよかったのか。

 

この子は私たちのところに来ると決めてくれたのに、その存在は大きすぎて、あるいは私たちが未熟すぎて、受け止めきれなかったのかもしれない。

 

そんなような、感じたことを感じたまま、思い返しながら二人でしばらく話をした。

仕事は午後から行くつもりだったけど、とてもそんな状態になくて休むことにした。

 

とりあえず昼食を食べて、仕事に戻る旦那さんを駅まで送り出す。

 

そのあと、どこにいけばいいかわからなくて、少し歩いた。

薬が効いてきたのか、お腹がじんわりとと痛み出した。

 

三丁目の地下通路を黙々と歩きはじめると、階段を上がるあたりで急に涙がたくさん出てきた。今まで味わったことのない種類の悲しみだった。

 

共感したり、感情が溢れて流れる涙とは、違う種類の涙だった。別れとも、また少し違った。

 

空っぽみたいな悲しみだった。

自分の一部を失ったような、そんな悲しみだった。

切れ端みたいな考えが浮かんでは流れて、消えていった。

 

駅前から少し離れたところの横断歩道で立ち止まり、信号が変わるのを待つ。

周りの人たちが一斉に歩き出し、私も歩き出した。

 

そのときに急に、声が聞こえた。

 

「ママ、違うよ。」

 

左上の空の方から、声が聞こえた。

遠くて真っ白い空だった。

たしかにそう聞こえた。

 

何?何が違うの?

 

消えそうな気がして、あわてて聞き返す。

返事はない。しばらく耳をすませた。

 

何が違うんだろう。わかるようで、わからなかった。

 

じっと待った。

 

1分くらいして、落ち着いたらまた聞こえた。

 

僕がそれを教えにきたんだよ。

 

そう言ったと思う。

 

ママって、初めて呼ばれたな。

と、場違いだけどそんなことを思った。

 

そして少し、何かが腑に落ちる。

何かを、自分の中に受け入れる。

 

もしかしたら、自分の心の声なのかもしれない。

 

でも、本当に聞こえた。

『重力ピエロ』で、空から声が聞こえる夏祭りのシーンみたいに。

 

お腹の痛みが強くなってきて、馴染みの喫茶店に入った。

平日だからいつもにも増して空いていた。

 

暖かいものを飲みたかったけど、気分が悪くてレモンスカッシュを頼んだ。

ひと息ついた。

 

文字にするべきか悩んだけど、結局そうした。

 

存在。

 

手に触れられるもの。

 

その尊さを知った。

 

来てくれてありがとうと、心の底から思う。

 

6週と5日生きた、17.5mmの私たちの赤ちゃん。