どうして子どもが欲しいと思うんだろう。
どうして遺伝子を残したいと思うんだろう。
どうして生きようと思うんだろう。
きっと死ぬまで理由を探し続けるんだ。
きっと探し続ける中で不安になって、
生きていることを実感したいと思うんだ。
わたしはどういう時に生きていることを実感するだろう。
例えば死と隣り合わせになったとき、
生きていることを実感する。
痛みを感じたとき、生きていると感じる。
あるいは誰かの死に出会ったとき、
自分は生きていると理解する。
そうしてみんな、自分が今、生きていることを知る。
「なぜ生きるのか?」に襲われたとき、
物語はいつもわたしを救ってくれる。
そんな途方のない問いかけにも、
物語は静かに、どういう在り方をするべきか示してくれる。
現実の世界で「生」を実感する出来事は、
何かしらの危険が生じることも多い。
死や、痛み。失うこと。
多くの人々は直接それを体験する代わりに、
余命いくばくかの人の物語や、危険を生き抜くヒーローに、
自分を重ねることで「生」を実感している。
無意識のうちにわたしたちは、生きる意味を探しているんだ。
見つかるはずのないその答えを、
ときどき何かで埋め合わせている。
子どもを産むことは、
生きることを実感する最大の方法なのかもしれない。
子どもを産みたいというのは、
だからきっと至極当然の感情に違いない。
子どもが好きだから産む、可愛いから産む、
というのじゃないと思う。
産みたいという気持ちは、とても当たり前の感情だと思う。