27歳だったと思う。『くじらクロニクル』を書くきっかけにもなった、ある夢をみた。
くじらクロニクルは、コントロールの及ぶ範囲を超えて成長(あるいは悪化とも言える)を始める世界に絶望した神様が、世界を自ら終わらせようとする話だ。
夢の中で、世界は薄紫色のオーロラに包まれ、やがて巨大な時計が空に出現した。
ペンギンたちが辺りを漂い、わたしは母親と一緒だった。
薄紫の空はやがて明るさを増していき、一秒一秒はだんだんとスロウになっていった。
青い光の柱が天から伸びてきて、そして世界は、とても穏やかに終わったのだ。
印象的な夢だったのでいまでも鮮やかに覚えている。
そして今、『影の現象学』という河合隼雄さんの本で、夢について読んでいる。
うまくいえないけど、例えば自分にとって受け入れがたい性格や事実を暗示しているという、わたしたちの影の存在。
無意識が作り上げたその存在は、時に夢の中に象徴的に現れるそうだ。
本はまだ読み始めたばかりだけど、あの夢は、当時周りのものに必死にしがみついていた自分の影であり、全てを捨ててやめてしまうべきだというメッセージだったのかもしれない、とふと思う。
河合さんによれば、影の言葉をどのくらい現実の世界で取り入れるか、というのは、とても難しいところらしい。成功すれば創造的だが、失敗すれば破滅に向かっていく。
日記には書いてこなかったけれど、結果としてわたしは、まる二年ほどを費やして、(ある意味、しっかりと向き合い、熟考して、)バンドと恋人どころか、仕事も住居も捨て、今のパートナーと生きる道を選ぶこととなった。
積み重ねてきた生活をすべて否定するというのは、自分自身をすべて否定するようなものだった。
本を書いていたときはこんな未来を想像すらしなかったけれど、あの夢が印象的だから書き始めただけじゃなくて、「終わらせる」ということに無性に惹きつけられていたのかもしれない。
時間はかかったけど自分自身の影に与えられた課題に対して、大いに取り組んだと言えるのかもしれない。
こうして考察し、言語化する機会ができたことで、自分の歩いてきた道も、少し舗装された気がする。
相当周り道をしたし、破滅的だけど長い目でみれば必要なものだったんだと思う。
たくさんの犠牲の上に立っている。
傷つけてしまったたくさんのものの上に自分は立っている。
でも、あのままじゃとても息ができなかった。
きっとこれでよかったんだと思っている。
よかったと思えるように、頑張って生きて行きたいと思う。