二重身

日本人は、あまり二重人格にならないという。

現代においてはストレスのあり方なども変わってきて二重人格自体が少なくなったらしいが、なぜ、日本人に二重人格が少ないのか。

 

河合さんの本には、ある女性が体験したこんな夢とともにその考察が載っていた。

 

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女性は母親と一緒にいる。

高いところの物を取ろうしてバランスを崩し、母親は転んで、亡くなってしまう。

取りすがって泣く女性の隣の部屋で、もう一人の自分が箒を持って掃除している。

 

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この女性の夢の中には、母の死を悼む感情と、母親の死によって一段落したと感じるような感情という、両立し難いものがある。

 

一般的には「死を悼む感情」が自我によって受け入れられ、「ひと段落した」という感情は影となり、そこに両者の葛藤が生まれる。

別の感情が同時に生まれるのだから、二つが分離されても仕方ない。

しかし、たとえ自我が分離しても相矛盾する感情を共存させようとするところが、「いかにも日本的」なのだそうだ。

 

女性は母親との関係改善を目的として相談にきていた。争いの絶えない状態を苦しんでいたが、その争いというのは、実は親子間の無意識的な結合の強さを背景に行われているものだったと書かれていた。

 

この夢は、母親との結合を断ち切り、自立することを認識し始めたころに見た夢だという。

自立、そして母親との強い結びつき。

アンビバレンスというのか、そういった矛盾した感情の存在を、わたしも小さい頃から多く感じている。

 

そういう感情を受け入れ、大切にしていると思う。大切にしすぎると、辛くなることもある。

どちらか一方の感情を捨ててしまえればいいのに。そうはいかず、悩むことばかりだ。

この考え方が日本的であるということは、自分にもとても日本的な部分があるということ。

 

曖昧な部分を残したままにできるというのは、悪いようだけど、物事を深く受け入れるには、いいことでもあると思う。

 

感情はとても複雑で、シンプルにいかない。

面白いなと改めて思う。

 

参考:『影の現象学河合隼雄