年末年始に、ふたつの別れがあった。
飼っていたオカメインコのほっぺの死と、祖母の死。
「死は生の対局としてではなく、
その一部として存在している。」
そんな村上春樹の言葉を思い出した。
わたしたちはこれらの死と一緒に生きていくんだ。
そして、これはうる覚えだけど、
「人は死ぬ時に最も孤独になるので、
その孤独に慣れる為に生きている」
という言葉があった。
なるほど、今失い続ける恐怖は全部その為なのか。これからも、より身近な人たちが死を迎えていく。そして最後は自分だ。
ときどき、今もふとこの感覚と、言葉を思い出す。
ほっぺを埋めてあげるために、実家に帰った。
家の中の空気は、しんとしていた。
玄関を開けると騒がしかったあの懐かしい声も聞こえない。
私たちは、動物が大好きな家族なのだ。
小さい頃から、ずっと動物と一緒に暮らしてきた。話し下手の父や弟と二人きりのリビングも、決して居心地悪くはないのだけど、ほっぺがいれば和やかだった。
祖母とは、もっと話をしたかった。
きっとたくさんの男性と女性を魅了してきた人に違いない。ときに大胆で、うちに秘めた笑顔。着物姿で凛として三味線を弾く姿。フラメンコを踊る姿。
わたしは、家族や親族のことを知らなすぎる。
こういう時にあとになって痛感する。
わたしの隣に、ひっそりと死が腰を下ろしている。